参加学生体験談

2019年度 NJE3

ロシア派遣体験談

近藤 縁

Home University: Hokkaido University

Faculty of Engineering
Course・Year: Bachelor Course 4
Period of time: 17 February, 2019 ~ 24 February, 2019
Host University: Pacific National University
準備科目

プログラム初日から失敗をしてしまった。新千歳空港に7:00だったが、僕は6:30過ぎに起床した。先生方、他の学生に迷惑をかけながらも、最終的には全員問題なくハバロフスクに入国することができた。ご迷惑をお掛けした皆様、この場を借りて謝罪させて頂きます。申し訳ありませんでした。

今年のハバロフスクは暖かいと聞いてはいたものの、飛行機から出て感じた空気は北海道では体感しないような独特の寒気を持っていた。空気が肌を刺すような感覚だった。ハバロフスク空港で出迎えてくれた現地学生PolinaとAlyokna、それとOleshaにはこの8日間本当にお世話になった。このプログラムが素晴らしい体験に終わったのは間違いなく彼女らのおかげでもある。あれほどの社交性とバイタリティを兼ね備えた学生は日本には少ないから当初は驚いたが、PNUの学生は皆接しやすく、僕たちを温かく受け入れてくれた。日本人が国民性として発言をしたがらないのは日本の発展に間違いなくブレーキをかけていると感じた。

プログラム2日目は市内観光と研究室博士課程学生Anastasiaさんの調査のお手伝いをした。市内には歴史的建造物が所々立ち並び、その建築様式はロシア正教の特徴的な造形を見て取れた。2色の煉瓦をセンス良く並べる作法はやはりヨーロッパの建造物に通じるものがあり、興味深かった。ただ、東ロシアは南面に中国と接している為、建築様式への影響があるかと思ったが、中国のにおいは感じ取れなかったのは残念だった。

調査のお手伝いはレーニン広場での録画補助だった。その後に行ったレストランは毎年の行きつけで、総じて美味しかった。寮近くのスーパーで食べた食事がロシア料理の第一印象を焼き付けてしまっていて少し悲しくなっていたが、ここで一気に評価が上がった。

その後訪れたお土産屋さんで僕は2度目の失敗をした。僕はもともと日本で円をドルに換金し、ドルをロシアでルーブルに替えるつもりだった。しかし、なかなか銀行に行く機会を得ることができなかったので皆がお土産屋さんで品定めしている間に換金しようと他のメンバーに銀行へ行ってくる事を告げて外へ出た。残念ながら銀行に断られ、ついに換金できずに皆の元へ戻ったが、案の定Wi-Fiも持たずにいなくなった事を心配されて、僕のことを捜索していた。結局瀬戸口先生から5,000ルーブルをお借りして過ごす事になった。初日の寝坊と言い、僕は問題児である。今後集団で海外へ行く場合は、まずクレジットのキャッシングが出来るようにしておく事(クレジットカードのキャッシング枠を増やしておいたが、現地のATMでのキャッシングはできなかった)、それができなければある程度日本で両替しておくという教訓を得た。

プログラム3日目火曜日、大学へ行って学会の予定表を見ると、僕は初日に発表する事になっていた。(毎年当日にならないと予定がわからないそうです…)英語での発表は初めてだったが、何とか終える事ができた。教授の方々からの質問は僕の理解不足で的外れな回答をしていたらしい。本当に正式な学会だったら致命的であるし、自分の研究してきた事が英語能力が足りないせいで評価されないのはあまりにも悔しい。今回のような実践に近い練習をする機会を経験できた事はこの研修プログラムの大きな収穫の一つだと思う。その日の夜はウェルカムパーティだった。先輩から浴びるようにウオッカを飲まされると聞いて警戒していたが、現地の学生自身も全然飲まない。肩透かしだ。会の間はしばしばIgor(昨年秋から北大に短期留学で来た留学生)が話しかけてくれて安心した。しかしウオッカは恐ろしい。会の間は何の問題もなく飲み続けていたが、夜寮に帰った後の記憶が無い。はパソコンを枕にして寝ていたようで、朝起きると後頭部が痛い。

4日目、5日目は皆順調に発表を終えていた。現地の学生、韓国から来た学生の発表もきちんと聞いた。自分の英語能力不足のために詳細な内容は理解できなかったが、それでも非常にわかりやすい論構成とセンスの良いスライドは圧巻だった。デザインのみならず、建築計画や都市計画についても研究している学生がおり、幅広い。北大の地位を客観視させられ、焦りを感じた。木曜日はエンジニア系の発表で、北大からは3人が発表した。そのうち2人は建築都市コースではないため、彼等はプログラム当初から何の為に呼ばれたのやら、と呟いていたがきっと彼等の発表含め、エンジニア系の発表はPNUの学生の刺激になったと思う。ロシアではエネルギーやごみ処理といった切実な問題もある。日本の技術がここロシアで役に立つことを願いたい。

パーティーの様子

プログラム4日目午後から始まったワークショップ。これが今回のプログラムの一番の山場だった。テーマは「The House of The Future」。未来の住まいかたを考えるというものだ。このワークショップを経て推測するに、PNUの学生は単位がかかっているようだ。そして、高得点を取る条件としてチームの中に日本人を入れなければならないようだ。それはさておき、彼等は自分の考えをアウトプットする速さ、精度共に目を見張るものがあった。非常にディスカッション能力が高い。完全に負けたと思った。当の僕は彼等に負けじとできるだけクレイジーなアイディアを提案しようとした。彼等は優しく、せっかく日本人がいるんだからということでなるべく僕の案を取り入れてくれようとしてくれた。結果、重力を自在に操れる未来を想像し、かつて重力によって明確に役割付けられた天井、壁、床の概念を疑う事にした。これがなかなか難しい。今までの自分だったら本当にこんな未来ありうるのだろうかと思考を躊躇してしまうが、彼等はそのアイディアを次々とブラッシュアップし、膨らませていった。その速度、今の自分に最も足りないものではないか。

集団で行動している都合上、僕は20時に大学を出て日本人学生と一緒に晩ご飯を取ったが、なんと他のチームメイトは徹夜で作業を進めていた!翌日彼等に会うと発表用のスライドはすでに仕上がっており、3Dのモデルも立ち上がっていた。この作業量、完全に負けだ。それよりも、僕ごときの考えたアイディアをもとに真剣に考えてくれて、徹夜までしてくれている事に対して本当に泣きそうになった。今後彼等と仕事ができたらどんなに幸せだろうか。いよいよ発表の時が来たが、他のチームも2日で仕上げたとは思えないほどの作業量を見せた。結果は僕たちのチームがグランプリだった。つまり1位だ。嬉しさよりも、チームメイトの努力が認められてほっとした。

ワークショップのメンバーと

土曜日、PolinaとAlyoknaの案内で市内観光をした。いろいろな心の荷重から解放されたものの、みんなは少し疲れているようにも見えた。思い返せばこの5日間は寮、スーパー、学校の往復運動だったので、街へ出た時は流石にカルチャーショックを受けた。市場へ行った時はひしめきあう人の動きや大声の中を歩き、生のロシアを見れたような気がした。僕たち観光客はこういったところだと邪魔者扱いされがちだが、お店の店員さんはみんな丁寧に説明してくれた。しかしロシア語はさっぱりわからない。ここまでわからないと逆に開き直っていちいち話しかけたくなってしまった。

土曜日だというのに、フォーラムの間お世話になった学生さんたちも途中から市内観光に付き添ってくれた。本当にいい人たちだ。話は変わるが、一つずっと気になっていたことがあった。それはロシア語の文字のひとつに3によく似たものがあるということだ。どう識別しているのか興味があった。この日、博物館にも行ったが、その時に見つけた展示物が少しヒントをくれたような気がした。このタイプライターの上部には数字のキーが横にずらりと並んでいるが、3が飛ばされている。その代わり、右のほうにキリル文字に交じって3のようなものがある。なんだロシア人でも混同してしまっているのか。それではなおさら日本人がわかるわけあるまい。

博物館の展示物

最終日は朝早くに空港へ出発したのだが、この日もPolinaとAlyoknaは一緒に空港まで来てくれ、見送ってくれた。滝沢君の発案で前日の夜にみんなで書いた寄せ書きを彼女たちにあげ、全員無事にロシアを飛び立った。

日本へ着くと既に春が目の前まで迫っていた。暑い。花粉症で鼻がムズムズする。海外から日本へ帰ってきて毎回しみじみと感じるのは、本当にお米が美味しいということ。ロシアはいいところだったが、やっぱり日本人として生まれ、美味しいお米が毎日食べれるという幸せを享受できる事に感動した。